革命のプレリュード
バスティーユ襲撃

1789年
王妃マリ−・アントワネットがトリアノン離宮で贅沢な祝典に明け暮れしている間、彼女の知らない外部の世界では、次第に新しい時代の動きが準備されつつあった。

緊迫した時代の雷鳴が鳴り渡っていても、相変わらず享楽生活を諦めずに国庫の金を湯水のように蕩尽する王妃に対して、民衆の攻撃する声が高まり始めた。

『首飾り。と事件』の直後、王妃が劇場に姿を表すと激しい舌打ちが観衆の間から一斉に起って、それ以後、王妃は劇場を避けるようになった。

積りに積った国民たちの怒りが、たった1人の人物に向って叩き付けられる。
正面攻撃に晒されるのは、お人好しの国王ルイ16世ではない。
『国王の鼻先を掴んで、引き回しているオーストリアの淫らな女!』
これが国民感情であった。

『あの人たちは、私から何を要求しているのでしょう?
私があの人達に何をしたというのでしょう?』


王妃は、たまり兼ねて、側近の者に絶望の溜息を漏らすまでになった。

革命の嵐が目前に迫っている中で、運命の無慈悲な意志は歴史上、最も波瀾に富んだ事件の渦中に戸惑っている王妃を突き落とす…。

1789年5月
国王は、財政難を解決する為に革命の導火線になるという事も知らずに175年ぶりに聖職者、貴族、平民の三身分の代表者から成る『三部会』を開催する。

第三身分の平民議員達は、「自分達が国民の代表」と主張して、王政ではなく『国民議会』を宣言した。

第二身分の貴族らが平民代表に賛同すると国王は、聖職者と貴族にやむを得ずに第三身分と合流するように命じた。

第三身分が国政に加わるようになった事で、絶対君主を保持して来たブルボン王制は更に危機に瀕して行く。

国費は、王家の私的財産という感覚で育って来た王妃には、政治に国民が口出しして、王家の行動に制限を付ける事に憤りを感じていた。

かつて、王妃の母マリア・テレジアは、娘の身を案じて『王妃という身分の重みと政治に口を出してはいけない』という事を手紙で論していた。
しかし、王妃は母の忠告を無視する事になって、頼りなく優柔不断な国王に代わって、王権を守るべき政治に口出しするようになった。

1789年7月11日
王妃は、2人の王弟プロヴァンス伯(後のルイ18世)、アルトワ伯(後のシャルル10世)と巻き返しに掛かる。

そして、国王にヴェルサイユとパリ近辺に軍隊を集結させて、改革に理解を示していた財務総監ネッケルを罷免した。
国王政府の軍隊集結によって、緊張が高まる中、国民は王妃が閣議メンバーになって、ネッケルが罷免された事に怒りを募らせて行く。

1789年7月14日
国王夫妻は、国民から人気のあったネッケルを罷免した事で改革派の勢いが失くなったと考えていた。
しかし、ネッケルが罷免された事に怒った民衆は、火薬庫であったバスティーユ牢獄を襲撃した。
パリでの事件が伝えられると争乱はフランス全国に飛び火して、暴動を起こした農民達が貴族や領主の館を襲って、借金の証文を焼き捨てる事件が各地で発生した。

国王の軍隊がパリを包囲して、市民を攻撃するという噂が流れて、コミューン(自治体)の指示でバリケードが築かれたパリは騒然としていた。

前日から、テュイルリー宮殿広場、パレ・ロワイヤル等に集まっていた市民達が武器を求めて、朝からアンヴァリッド(廃兵院)に押し寄せて来た。
記録によって差異があるが、その数7000人〜40000人といわれている。

武器を提供するよう武器商人や貴族の屋敷を襲う事件は続いていたが、それでは絶対的に数が不足していた。
前日の7月13日には、市長フレッセルが市庁舎の小銃360丁を提供したが、それでも武器が足りず、アンヴァリッドの長官に武器の提出を求めて、市庁舎から派遣されたコミューン(選挙人集会)代表が交渉を始めた。

その間の午前9時〜10時頃に市民たちがアンヴァリッドに雪崩込んで、銃32000丁、大砲12門、臼砲が地下室から強奪された。

更に市民は武器と弾薬を求めてバスティーユへと向かった。
バスティーユは、中世に建設された軍事要塞で17世紀には国立の刑務所となった。
そして、ルイ14世の絶対王政の頃には、政治犯が収監されており、市民の目からは憎むべき圧制のシンボルだった。

しかし、バスティーユ襲撃時の囚人数は7人で、しかも政治犯ではなく、窃盗犯と精神を病んだ人達が収監されていたとされている。

午前10時半から、バスティーユでは、既に武器を提出するよう交渉が始まっていた。
バスティーユの司令官はベルナール・ルネジュールダン・ド・ローネ侯爵(1740年~1789年)。
彼は、3人のコミューン代表を城砦に招き入れた。
そして、交渉は続くも武器の引渡しには応じず、当時のパリの貧民街サン・タントワーヌの職人代表も交渉に加わった。

午前11時半には、アンヴァリッドから向かって来た市民も加わって、バスティーユを囲む市民の数は膨れ上がって、痺れを切らした数人の市民が屋根を伝って、中庭に進入した。
そして門を壊し、バスティーユを囲む堀の上に渡した跳ね橋の鎖を断ち切った事で橋を通って、次々と市民が中庭へと入って行った。

その乱入した市民を狙って、銃撃が開始されて戦闘が始まった。

バスティーユの守備兵は、スイス兵100名と廃兵のみで武器の扱いも分からず、戦闘経験の無い市民と兵士では力の差は歴然としていた。
数時間の攻撃戦の末に死傷者が出始めた。

戦闘中も市庁舎からは、戦闘停止、武器の引渡し、守備兵は市民軍に合流せよとの命令書を携えて、コミューン代表が太鼓を打ち鳴らし、旗を掲げて、何度も交渉に訪れたが、司令官ド・ローネー公は応じなかった。

午後15時半、数百人の市民と共に奪った大砲がバスティーユに到着した。
更に武装した市民の部隊、フランス衛兵数十名が市民側に加わった。
戦闘経験のあるフランス衛兵が加わった事で大砲での攻撃も始まった。
そして、牢獄に繋がる第二の城門も開かれて、市民が要塞の中へと進入した。

司令官ド・ローネー公は、『バスティーユに貯蔵されている火薬2万個と共に自爆する』と脅したが、1人の兵士に止められて降伏する事となった。

守備兵側は死者1名、負傷者3名。
市民側は死者98名、負傷者73名を出した。
犠牲者が多くとも市民側の勝利で、この後、勝利に酔った民衆によって無用の殺生が行われた。
すなわち司令官ド・ローネー公、市長フレッセル、バスティーユから連行された士官3名、廃兵3名の殺害であった。

市民達は、ド・ローネー公とフレッセルの首を槍の先に付けて、勝利の行進をした。
夥しい血を流しながら、勝利の後進は街中を練り歩き、フランス革命は一歩前進した。
この日の夜は、大雨で流れた血は大地へと浸み込んだ。

革命の直接的な原因は財政破綻で、この破綻を民衆は、『赤字夫人』である、王妃マリー・アントワネットの浪費であると信じていた。

実際の赤字額に比べると王妃が浪費した金額は、国が引っくり返る程のものではなかったが、民衆は王妃のせいで国が傾いたと信じていた。

一方、パリでの出来事を知らない国王は、普段と変わらず、狩猟から戻ると22時には就寝していた。
パリから、顔色を変えて、注進に及んだリアンクール公爵が国王を叩き起して報告する。

『バスティ−ユが襲撃されて、要塞司令官は殺害されました!』

『では… 反乱という訳か?』

寝ぼけまなこの国王は、驚いて口ごもるとリアンクール公が答えた。

『いいえ!陛下、革命でございます!』

※これは名高いエピソードで残されている。

1789年7月15日
バスティーユ陥落後、王室では参事会が開かれた。
王妃は、当時はフランス領(※現在はドイツ・モーゼルの県庁所在地)のメッスへ避難するよう希望した。
しかし、ド・ブロイ元帥は反対し、国民を心から愛していた国王は、宮廷を捨て、国民を見捨てる事を受け入れなかった。

そして国王は、二人の弟プロヴァンス伯爵(後のルイ18世)とアルトワ伯爵(後のシャルル10世)を伴なって議会へと赴き、そこで国王は、全部隊の撤退を発表して、国民への信頼の言葉を述べると、議員達は『国王万歳!』と叫び、ヴェルサイユ宮殿の中庭には歓喜する民衆が溢れた。

宮殿正面バルコニーに国王夫妻、マリ−・テレ−ズルイ・シャルルが姿を見せた。

そして、宮殿の中庭には王妃の命を受けた侍女のカンパン夫人が降り出た。
彼女は王妃の親友ポリニャック夫人を非難する民衆の声を聞いて、王妃に報告した。

朝からずっと同様の警告を受けていた王妃は、ポリニャック夫人に亡命を勧めたが、事態の重さを量りかねているポリニャック夫人は受け入れず、弟アルトワ伯爵に国外へ出るよう命令を下した国王もポリニャック夫人の説得に加わって、やっと彼女は承服した。

また、国王は罷免していた財務長官ネッケルを呼び戻す決定を下した。

パリでは、全国三部会において、第三身分の側に立ったラファイエット(1757〜1834)を総司令官として、国民衛兵隊(ガルド・ナシオナール)を組織し、天文学者で国民議会(アッサンブレ・ナシオナール)議長ジャン・シルヴァン・バイイ(1736〜1793)がパリ市長に就任した。

1789年7月19日
未明から、貴族達の国外亡命が始まった。

ポリニャック公爵夫妻と家族、ヴォードルイユ(ポリニャック夫人の愛人)
王妃が説得するまでは、宮廷での地位や財産に執着を見せたポリニャック夫人だが真っ先にドイツへと亡命して行った。

続いて、王弟アルトワ伯爵、コンデ公爵、ブルボン公爵、ダンギャン公爵、コワニー伯爵、ランベスク公、カロンヌ、ブルトイユ、リュクサンブール、レ・カストリー、ド・ヴェルモン神父など多くの貴族たちが宮廷を去って行く中、エリザベ−ト内親王ランバル公妃は、国王と王妃と運命を共にして行く…。






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