華やかな宮廷

14歳でフランス/ブルボン家に輿入れしたマリ−・アントワネットは、18世紀末の束の間の一時期こそ、最も洗練された享楽的な貴族文化の頂点に君臨していた。

1772年6月11日
新国王ルイ16世は19歳、マリ−・アントワネットは、18歳の若さで王妃になった。

前国王ルイ15世の治世に失望していたフランス国民は、心から新国王夫婦に期待して喜んだ。

国民が王妃に対して望んだ事は、美徳に溢れ、あらゆる女性らしさを備えて、世継ぎとなる立派な男児を生む事。
そして、社会が繁栄している時は、王妃は幸福のシンボル。
国家が不幸の時は、母のように慈愛に満ちた存在であって欲しいと願っていた。
しかし、若きマリーアントワネットにフランス王妃としての立場と責任を理解する事は出来なかった。

一方、宮廷の人々はマリーアントワネットが王妃の位に就いた途端、手の平を返して御機嫌を取るようになった。

王妃になった事で起床の儀から、装い、謁見、そして公式晩餐会に至るまで、日々、王妃としての義務を果たさなければならなかった。
しかしながら、オーストリア宮廷の簡素な行事様式に慣れていたマリーアントワネットは、ヴェルサイユ宮廷の習慣と堅苦しい礼儀作法に居心地の悪さを感じていた。

ルイ16世は、宮廷生活を快適にする事を王妃に任せた。
マリーアントワネットは、王太子妃時代からの憂さを晴らすかの様に朝の接見の簡素化、全王族の食事風景の公開廃止、王妃に物を直接、渡す事を禁じるなど廃止・緩和させた。

更に王妃は老齢の貴婦人達をからかい始めた。
前国王の葬儀の際、儀式に出席した60才前後の老齢公爵夫人達の前で不作法にも声を立てて笑い出した。
すると翌日、ある貴婦人が「この、からかい好きの娘っ子の宮廷には、もう二度と足を踏み込みはしない」と断言した。
すると王妃は、「30過ぎてまで、宮廷に出て来る気になるなんて、何とも気が知れないわ」と、高飛車に言い放した。

これ以降、60前後の貴婦人を『立て襟』(16世紀の婦人が着用したドレスで時代遅れを意味し、篤信と悪口を職業にしている猫被りを意味する)と呼び、30前後の貴婦人を『諸世紀』
ニュースを行商して歩き、それに毒を注ぎ込み、挙措が重苦しくて着付けがみっともない貴婦人を『小包み』というように老婦人を3種類に分類した。

また、宮廷で王妃にデュ・バリー党派のデギュイヨン公爵夫人が進み出て、御辞儀をした時、王妃は一言の声も掛けず、軽蔑したような眼付きでマジマジと公爵夫人の顔を見つめた。
すると、デギュイヨン党派は「20歳の幼い王妃様、手酷い仕打ちをしなさるが、今に柵超え、出戻りに成るぞいな」と口ずさんだ。
以後、王妃に対する初期の中傷攻撃の冊子パンフレットを出版したのは、デギュイヨン党派と深い繋がりのある大法官イエズス会流儀の徒党と言われている。

華麗な宮殿で生活する王妃は、毎朝 目覚めるとホットチョコレートを飲んだ後、入浴の習慣がなかった当時にしては珍しく、毎朝、必ず入浴していた。
木製の靴型の浴槽が寝室に持ち込まれて、他の貴婦人は、薄いネグリジェのようなものを着たまま入浴していたが、王妃は全裸で入浴する事を好んだ。

そんな、清潔さを重んじた王妃だが、華麗なるヴェルサイユ宮殿は、清潔さとは程遠い宮殿だった。
ヴェルサイユ宮殿には、多い時で5千人もの人々が暮らしていたにも関わらず、トイレは、274個しか設備されていなかった。
トイレといっても、赤や青のダマスク織りやビロードのカバーがしてある太鼓型の穴開き椅子のような物。

王族は、上げ蓋式の便器や水洗式トイレを持っていた。
その中身は従者が庭に捨て、廷臣や貴婦人達は庭の隅で用を足して、宮殿内にあるトイレの中身も庭に捨てていた為、ヴェルサイユ宮殿の通路、中庭、回廊には尿や糞便が溢れて悪臭が立ち込めていた。
この為、ヴェルサイユ宮殿の舞踏会は、糞尿の香りの中で繰り広げられて、そこで華麗に踊る貴婦人達のフープドレスの中には、芳香剤の小ビンやノミ取りがブラ下げられていた。

その壮大なる宮殿警備も厳しいかと思いきや、一応まともな服装をしていれば、誰でも身元の確認なく、簡単に出入りする事が出来て、控えの間には、常に一般人がたむろしていた。
市場の魚売りの女達(行儀が悪く、言葉の粗野な庶民階級)は、王妃に挨拶する権利を持っていて、それがやがて口汚い卑しい女達が宮殿に出入りする権利に変化していった。

近衛兵達の任務の一つは、敷地内の隅や隙間に住み着いた浮浪者などを排除する事などで、ヴェルサイユ宮殿の暮らしには殆ど安全対策がなされておらず、安全性に不備がある事は一目、瞭然だった。

不衛生さと安全性にも問題がある上に多くのペットが飼われていた。
至る所に猫がいて、犬、猿、インコなどが騒がしく暴れて、糞尿、悪臭漂う不潔な宮殿だった。

王妃となったマリーアントワネットには、500人以上の召使いがいたが、専門職の召使いに取り巻かれていた訳ではなく、不器用で素人の特権意識に凝り固まった高級役職者達に囲まれていたので、不便を強いられる事も多かった。

ある日、王妃が自分のベットの掛け布団にホコリが溜まっているのを見つけ、何人かの仲介者を経て、寝室付きの僕童達を呼び寄せた。
すると、彼らは「王妃陛下のベットは、王妃様がそこに休んでおられない折りには、家具としてみなされるのだから、ホコリを払う事は、自分達の権限外です」と答えた。
そこで室内装飾係従者頭を呼んで、頼み直さなければならなかった。

また、喉が渇いても『王妃付き女官長』『首席侍女』の2人の女官しか、王妃に飲料水を差し出す権利を持っていないから、彼女らが居ない時は、水を飲む事が出来ない。
それも何人もの人の手を経て、飲料水が運ばれてく来る為、散々、待たされた挙句に生ぬるい水を飲む事になった。

フランス宮廷は、代々、『宮廷人』と呼ばれる数多くの貴族を従えていた。
君主(王)、或いは妃のお気に入りとして注意を惹くには、王宮にしばしば足を運び、『エチケット』と呼ばれる礼儀作法を守らなくては成らなかった。
宮廷人達は、全くの服従を強いられた代わりに、王から財政的な手当て、或いは褒章、また宮殿内に住居を与えられて、祝宴や儀式に招待された。

「フランスの全てが王の周りに集められた」ヴェルサイユ宮殿では、その規模のお陰で大勢の廷臣達が王の側で生活する事が出来た。

宮廷には日々、3千~1万の人々で混雑して、そこには非常に独特な階級社会が形成された。
宮廷の住民は、生まれながらに住む権利を持つ者から、社会的責務によって滞在する者、或いは私欲や興味本位から宮廷人となった者、生計を立てる為に働く者などと様々であった。
上流貴族もヴェルサイユ宮殿の主の愛顧を得ようと宮廷生活の一員となった。

廷臣らは、宮殿の礼儀作法に従わなければならず、この事細かい規則によって、誰が有力者にいつ何処で近づく事が出来るかを決める優先順位が管理された。

振る舞いや言葉使いについても同様に厳しい規則があり、状況によって緻密に使い分けられた。
例えば、宮廷人同士がどのようにお互いを呼び合うか。
どのように席を取らなけらばらなないか。
どのように肘掛椅子や椅子、或いは腰掛けを使用するか。など取り決められていたのだった。

廷臣達の中でも地位を持つ者達は、宮殿で『身を固めた者』と言われた。
この地位は、相続や売買によって取得された。
その値は、しばしば大変高額なものであった。

また地位によって、ある一定の宮廷職や役割が与えられた。
重要な地位、特に国務卿などについては、王の承認が必要不可欠であった。
しかし、単なる部屋や床屋の召使に関しては、「王の家」のグラン・メットル(最高責任者)による承認で十分であった。

宮殿の住居も非常に人気があって、そこに住む事によって、宮廷への行き来の手間を省く事が出来、宮廷に出ない時はそこで安らぎのひと時を過ごす事が出来た為である。

王家の王子らは、庭園に面した居室を使い『身を固めた廷臣』らは、ヴェルサイユ周辺か大共同館や厩舎など宮殿の付属家屋に住んだ。

宮廷で知られる為に顔を見せる事は大変重要な事であったが、軍や高級官僚の一員として、王に仕える事が君主の愛顧を得る最も有効な手段であり続けた。
美しい容姿やエスプリなど個人的な資質を武器にする者もいれば、それに対抗して眩いばかりの見事な装いで着飾って、注意を引こうとする者もいた。

娯楽を好んだ王妃は、宮廷の古き習慣と礼儀作法を緩和させると、自分のお気に入りの取り巻き達だけを周囲に置いて、週2〜3回の頻度で芝居の上演を行ったり、大舞踏会を復活させる。
また『平和の間』で宮廷の娯楽を催して、ビリヤードやカード遊びに熱中し、音楽好きだった事からハープ演奏も行った。

王妃のお気に入りの中で最も有名なポリニャック伯爵夫人は、素晴らしい美貌と物憂げな気品で王妃を魅了した。

当時の上流社会では、お気に入りの女友達を持つ事が貴婦人達の間では高級な趣味として流行していた。
王妃は、ポリニャック伯夫人を宮殿内に住まわせて、過度の友情を示して、特典や多額の年金を給付して莫大な国費を浪費した。

もともと遊び好きの王妃は、お気に入りの扈従共々、毎晩のようにパリの劇場や舞踏会、賭博場に出掛けては、大衆に紛れて夢中になって楽しみ、朝方に宮殿に戻る事も多々あった。

更にポリニャック伯夫人の策略で国王に禁止されていた賭博にも手を出して狂的に熱中した。
王妃にとって、賭博は単なる気晴らしだったが、次第に(カード遊び)にのめり込んで、たった一晩で2億3千万円も失った事がある。

その擦られた金は、ポリニャック伯夫人や遊び相手の副収入になり、当然、イカサマも日常茶飯事だった。

王妃の賭け方は、度を越していて、21歳の誕生日には36時間も賭け続けた記録がある。
国王が苦情を言うと王妃は、笑って「陛下はカード遊びをお許し下さいましたが、何時間以上はいけないとは、おおせられませんでした。
ですから、好きなだけ遊んだのです」
と答えた。
ある時は、市民に扮装して、街の賭博場で明け方4時過ぎまで賭博台に座り続けた。
また、3年間で5億円以上も擦った記録もある。

王妃の浪費は「イカサマ賭博」と不名誉な噂と共に広まった。

賭博にのめり込む王妃に対して、メルシー伯は言い聞かせた。
「政府は運任せの勝負事の危険を見て取って、賭博の流行の阻止に努めておりますのに、その勝負事が王妃の所で、まさしく作法に捧げられた時間を潰して開かれるとは前代未聞、そして、世間のそしりを招く事です」

絶えず、次々と遊びを変えて新しい流行に飛び付いて行く、王妃の享楽癖は、宗教心の厚い厳格な母マリア・テレジアも忠告と共に手紙を書き送った。「新聞や冊子は、以前は私の娘の雅量や優しい心根を褒め称えていましたのに今は、その調子が一遍して、変わってしまっています。
競馬とか勝負事とか、徹夜したという事しか出ていませんから、もう見る気がしません」


しかし、あらゆる説論も忠告も王妃には何の効き目もなく、驚くような率直さで答えている。

『お母様は、私の気が知れないと言うけれど、私には、それが分かりません。
一体、人生を享楽するのが、何故、いけないのですか?
別に意味がある訳ではありません。
お母様は、何を求めているのででしょうか?
私は、退屈するのが怖いのです』


母テレジアは、手紙を送っては諌めたが、理解して貰えずに効果を得られなかった。






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